逸見晃治(いつみ こうじ)氏は、日本のスポーツ業界および広告業界で長年にわたり活躍してきた人物です。彼は電通の元スポーツ局長補であり、東京オリンピック・パラリンピックの運営に深く関与しました。しかし、2023年には談合事件で起訴されるなど、その経歴には明暗が分かれる部分もあります。本記事では、彼の経歴を時系列で詳しく見ていきます。
逸見氏は1967年頃に生まれました。2023年2月時点で55歳であったことから逆算されます。
逸見氏は筑波大学に進学し、水泳部に所属。個人メドレーの選手として活躍し、日本代表に選ばれるほどの実力を誇りました。特に男子800メートルリレーでは当時の日本記録を樹立するなど、優れた競技成績を収めています。
大学卒業後、1991年に大手広告代理店の電通に入社しました。スポーツ文化事業局に配属され、スポーツイベントの企画・運営、スポンサーシップ、マーケティングなどに携わるようになります。
長年の経験を評価され、2019年には電通のスポーツ事業局長に昇進しました。このポジションでは、日本国内のスポーツイベントのみならず、国際的なスポーツビジネスにも関与し、特に2020年東京オリンピック・パラリンピック関連の業務に深く関わるようになりました。
2023年、東京地検特捜部は東京オリンピック・パラリンピックのテストイベント業務の受注をめぐる談合事件を捜査し、逸見氏を含む7人を起訴しました。
事件の概要は以下の通りです。
この事件は、日本国内で大きな社会問題となり、オリンピック運営の透明性に対する厳しい批判が巻き起こりました。
2025年1月、東京地方裁判所は以下の判決を下しました。
電通グループはこの判決に対し、即日控訴を決定。事件の最終的な決着はまだ見えていません。
逸見氏のキャリアは、スポーツ界での活躍から始まり、電通でのスポーツビジネスの推進へと続きました。しかし、談合事件への関与により、その評価は大きく変わりました。彼がスポーツ業界や広告業界に与えた影響は大きいものの、不正行為によってその功績が大きく損なわれてしまったことは否めません。
今後、逸見氏がどのような道を歩むのか、また電通の対応がどのように展開していくのか、引き続き注目されるところです。