誰袖(たがそで)は、江戸時代に実在した吉原遊郭の高級遊女(花魁)です。吉原の新興妓楼である「大文字屋(だいもんじや)」に所属していた遊女で、その源氏名(遊女としての名前)が「誰袖」です。
**実際の本名や出自については記録が乏しく明らかではありませんが、**吉原では幼い頃に禿(かむろ)と呼ばれる見習い奉公から遊女となるのが通例で、誰袖も大文字屋の禿から成長して花魁になったとされています。
活動時期は18世紀後半の天明期(1770年代後半~1780年代)で、蔦屋重三郎と同時代に生きた人物です。
当代随一とも評された花魁だけあってその容姿端麗さが伝えられる一方、「誰袖」は教養ある遊女としても知られ、狂歌(ユーモラスな和歌)を嗜んでいました。
実際、天明3年(1783年)刊行の狂歌集『万載狂歌集』には「遊女たが袖」として彼女の恋の歌が採録されています。
例えば同集に載った誰袖の狂歌の一つに、「わすれんとかねて祈りし紙入れの などさらさらに人の恋しき」(忘れようとして祈っているのに、あの人からもらった紙入れを見ると、ますます恋しさが募ってしまう)というものがあり、遊女としての立場で人を慕う切ない心情が詠まれています。
このように文芸にも秀でていたことから、誰袖は美貌だけでなく知性や才気も備えた遊女であったことが窺えます。
天明4年(1784年)刊行の『吉原傾城 新美人合自筆鏡』に描かれた大文字屋の誰袖(左から2人目)。
(江戸後期の浮世絵に描かれた遊女たち。誰袖も当時の「新美人」の一人としてその姿が記録されている。)
誰袖の名を一躍有名にしたエピソードとして、天明4年(1784年)に旗本の土山宗次郎によって身請け(落籍)された事件が挙げられます。身請けとは、遊女の年季(契約)を買い取って遊郭から引き取ることで、いわば「遊女との身分違いの結婚」のようなものです。当時老中だった田沼意次の腹心で勘定組頭という財務官僚でもあった土山宗次郎は、誰袖を手元に引き取るために祝儀等込みで1,200両もの巨額を支払いました。
1,200両という金額は現在の貨幣価値に換算すると約1億2,000万円にも相当し、当時としても前代未聞の高額でした。それだけにこの落籍は江戸中の評判となり、「当代一の花魁・誰袖を数億円で身請けした旗本がいる」と人々の噂に上ったと伝えられます。
しかし、この身請け劇の後日談は波乱に富んだものとなりました。土山宗次郎が誰袖の身請けに充てた資金の出所が問題視されたのです。天明6年(1786年)に田沼意次が失脚すると、幕府内で土山による公金横領疑惑が浮上し、彼は処分を恐れて江戸から逃亡します。最終的に土山宗次郎は捕らえられ、天明7年(1787年)に斬首刑に処せられました。身請けから僅か3年後、彼は罪人として非業の最期を遂げたのです。
この**「土山宗次郎と誰袖」のスキャンダル**は当時の世相を反映した事件として人々の関心を集め、山東京伝はこの話をモデルにした黄表紙『奇事中洲話(雉も鳴かずば撃たれまい)』を著しています。黄表紙とは庶民向けの風刺的な小説で、題名の「雉も鳴かずば撃たれまい」(=余計なことをしなければ災難に遭わなかったものを)は、贅を尽くした振る舞いが災いを招いた土山と誰袖の顛末を風刺していると言われます。
誰袖自身も狂歌を詠んだことから、これらの事件を題材に彼女自身が心情を綴った歌も残されています。
前述の狂歌**「紙入れ」の歌**は、大河ドラマの中では主人公・蔦屋重三郎への叶わぬ想いを込めて誰袖が詠んだものとして描かれており、史実でも恋愛感情を詠んだ歌であったことから、誰袖には実際に何らかの恋慕の相手がいた可能性を示唆しています。歴史上、その相手が誰であったか確証はありませんが、一説には身請けをされる以前に心を寄せた人物がいたとも言われます(ドラマではそれが蔦屋重三郎という設定です)。
身請け後の誰袖について、史料上ははっきりとした記録が残っていません。土山宗次郎が処刑された後、彼女がどのような人生を辿ったのか定かではなく、消息不明となっています。このため、絶頂から突如として引き裂かれたその境遇ゆえに、誰袖は「悲劇の遊女」として語られることもあります。
事実、彼女と同時代の伝説的遊女・五代目瀬川(花の井)などと並び、後の草双紙や講談で悲運のヒロインとして描かれ、現代まで名が残る存在となりました。
誰袖が活躍した天明期の江戸は、老中・田沼意次の主導によって商業振興策がとられ、町人文化が爛熟した時代でした。この「田沼時代」には経済活動が活発化し、それに伴って吉原遊郭も大いに栄えました。
江戸の人口は当時100万人を超え世界有数の大都市に成長し、吉原は単なる色町に留まらず、全国から人々が訪れる一大娯楽文化の発信地でもありました。遊女たちは最新の流行や文化を体現する存在であり、特に花魁クラスの高位遊女は豪華絢爛な衣装をまとい華やかな行列(花魁道中)を披露するなど、そのきらびやかな姿は江戸の社交界のセレブリティとしてもてはやされました。誰袖が名を馳せたのもまさにそのような時代で、巨額の金を投じてでも一流の遊女を手中に収めようとする豪商や権力者が現れる土壌があったのです。
もっとも、遊郭の光の部分の裏側には影の部分、すなわち遊女たちの苛酷な境遇が横たわっていました。多くの遊女は幼少時に貧困ゆえに親から遊郭に身売りされ、「年季」と呼ばれる長期契約(概ね10年程度)で拘束されていました。吉原で働く遊女にとって自由の身になる道は二つしかなく、ひとつは前述の**「身請け」によって契約を買い取ってもらうこと、もうひとつは「年季明け」まで勤め上げることでした。しかし、花魁のような高級遊女になるほど衣装代や座敷代などで莫大な借財を負っている場合が多く、身請けされない限り年季明けで自由になるのは稀でした。そのため遊郭は「苦界(くがい)」とも呼ばれ、煌びやかに振る舞う花魁たちも実際には厳しい運命を背負っていたのです。誰袖もまた、「お金のために吉原に売られ、お金のためにさらに身請けされていった」**一人であったと言えます。
誰袖の身請け主となった土山宗次郎は武士とはいえ田沼意次の側近であり、田沼時代の象徴のような存在でした。田沼の治世下では賄賂や贅沢が横行した反面、文化的には洒落本や黄表紙、浮世絵といった町人文化が爛熟し、狂歌ブームも起こるなど自由奔放な気風がありました。誰袖自身が狂歌をたしなんでいたのも、そうした江戸後期の文化的素養を遊女たちも身に着けていたことを物語っています。しかし天明7年(1787年)の田沼失脚以後、松平定信による寛政の改革が始まると一転して倹約と風紀粛正が打ち出されます。山東京伝や蔦屋重三郎らも出版統制で処罰されるなど、華美な享楽文化は抑圧される方向へ向かいました。誰袖の物語は、爛熟した享楽の時代から倹約令の時代への移り変わりに翻弄された象徴的な出来事であり、個人の運命が権力の浮沈に左右された江戸後期の世相を映しています。華やかな吉原の表舞台と、その陰で涙を流す遊女たち――誰袖の生きた時代は、その両面が極致に達した時代背景だったと言えるでしょう。
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(2025年放送)では、誰袖は物語上重要な役どころとして登場します。演じるのは女優の福原遥さんで、幼少期の「かをり」(香織)という少女時代から描かれ、成長して花魁「誰が袖」となる設定です。劇中では、新興の妓楼・大文字屋の看板遊女として台頭し、老舗の松葉屋・扇屋に挑む存在として描かれます。大文字屋の主人・市兵衛(伊藤淳史さん)は「女郎にはかぼちゃを食わしとけ(=贅沢はさせるな)」と豪語するやり手で、誰袖はその期待を一身に背負って吉原一の花魁へと成長していきます。
ドラマにおける誰袖は、主人公・蔦屋重三郎(横浜流星さん)に密かに恋心を寄せる女性として描かれています。蔦屋重三郎は江戸の出版王を目指す文化人ですが、遊郭とも深い関わりを持つ人物です。誰袖は幼い頃から蔦重(蔦屋重三郎)と交流があり(蔦重の幼馴染としては花の井〈五代目瀬川〉という別の遊女も登場しますが)、成長するにつれて蔦重への淡い思慕を募らせていきます。しかし花魁という立場上、自らの恋心を表立って示すことはできず、蔦重への想いは片思いとして胸に秘められたまま物語が進みます。劇中では、前述の狂歌「紙入れの歌」がまさに蔦重を想って誰袖が詠んだ歌として登場し、自らの気持ちを和歌に託す繊細な女性像が強調されています。
一方で、誰袖は蔦重の正妻・てい(橋本愛さん)とも物語を通じて関わりを深めていきます。序盤では立場の違う2人でしたが、次第に蔦重を想う者同士として奇妙な友情や絆が芽生えていく過程が描かれています。互いに嫉妬し反目するのではなく、女性同士が理解し支え合う描写は本作の見どころの一つであり、誰袖の人物像に立体感を与えています。
物語が進むと、誰袖は史実どおり江戸一の花魁として名を馳せ、ついに土山宗次郎(柳俊太郎さん)に1,200両で身請けされる展開になります。この身請け劇はドラマ内でも大きな山場となり、田沼意次ら権力者側の運命にも影響を与える事件として描かれます。蔦重と誰袖にとっても一大転機となり、誰袖は愛する蔦重のもとを去らざるを得なくなるという悲劇的な展開を迎えます。
『べらぼう』における誰袖は、吉原の華やかさと哀しさを体現する存在です。頂点の花魁としての気高さや誇りを持ちながらも、一人の女性としては自由にならない恋に苦しみ、時代の波に翻弄される――そうした複雑な内面が丁寧に描かれています。狂歌の才に秀でたインテリ遊女という側面も描写されており、蔦重ら文化人たちとの知的な交流(狂歌会など)を通じて、単なる恋愛要員に留まらない魅力が表現されています。さらに、正妻のていとの友情を通じて女性同士の連帯感も示し、当時の女性の生き様にスポットを当てている点も特徴的です。
総じて、NHK大河ドラマ『べらぼう』の中の誰袖は、史実に材を取りながらフィクションならではの人間ドラマを背負ったキャラクターと言えます。実在の「誰袖」が持っていた悲劇性と文化的な煌めきを合わせ持つ存在として描かれ、物語に深みを与える重要な役割を果たしています。史実の誰袖を知らない視聴者にも、江戸の花街に咲いた一輪の花の鮮烈さと儚さが伝わるような人物像となっており、同時に蔦屋重三郎という男の人生にも大きな影響を与えるキー・パーソンとなっています。