1929年の世界恐慌の最中に成立し、世界経済に深刻な影響を与えたアメリカの関税法――それがスムート・ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act)です。
この法律は、現在でも「保護主義政策の危険性」を象徴する事例として、経済史に頻繁に登場します。今回はその背景、内容、そしてもたらした影響について詳しく見ていきましょう。
スムート・ホーリー関税法は、1930年6月17日にアメリカで制定された法律で、2万以上の輸入品に高関税を課すことを目的としたものでした。
名前の由来は、この法案を推進した以下の2人の議員から来ています:
もともと農業従事者を救済する目的で始まった法案でしたが、最終的にはほとんどすべての産業製品に対する関税引き上げを含む、極めて広範な保護主義的政策に変貌しました。
当時の政治的背景として、共和党が保守的な経済政策を主張していたこともあり、特に中西部や農村部の支持層を意識した立法でした。大統領ハーバート・フーヴァー自身も当初は関税引き上げに慎重でしたが、党内圧力の中で最終的に署名に至りました。
1929年に起きたウォール街の株式大暴落によって、アメリカ経済は深刻な打撃を受けました。失業率は急上昇し、企業倒産が相次ぎました。
このような状況の中、政府は「海外からの安価な輸入品が国内の産業を脅かしている」と考え、関税によって国内産業を保護しようとしました。
また、第一次世界大戦後の国際経済の不安定さも背景にあります。ヨーロッパ諸国も経済回復に苦しんでおり、世界全体の貿易体制が不安定な中で、アメリカの市場が重要な役割を果たしていました。そこで保護主義的な政策が導入されることは、他国にも大きな影響を与えるものでした。
その結果、海外からの製品価格が高騰し、アメリカ国内の消費者にとっては物価上昇というデメリットも生じました。
この法律は、結果的にアメリカのみならず、世界的な経済縮小を引き起こす引き金となりました。
国際通貨基金(IMF)や世界銀行の前身にあたる国際経済協力体制がまだ存在しない中、各国が孤立した経済運営を試みたことが、結果的に協調の欠如と世界的な悪循環をもたらしました。
当時の経済学者500人以上が法案に反対の署名をしていましたが、フーヴァー大統領は最終的に署名してしまいます。
その後の評価では、スムート・ホーリー関税法は**「世界恐慌をさらに悪化させた歴史的失策」**とされることが一般的です。
この法案は今でも、**「保護主義がもたらす負の連鎖」**を語る際の教訓として引き合いに出されます。
さらに、この失敗から、第二次世界大戦後には関税と貿易に関する一般協定(GATT)が締結され、国際協調による自由貿易の体制が構築される動きが加速しました。現在のWTO(世界貿易機関)体制の基礎となる重要な歴史的転換点でもありました。
現代でも保護主義的な動きは時折見られます。特に近年では、アメリカのトランプ政権下における「米中関税戦争」が話題となりました。
スムート・ホーリー関税法と比較されることも多いこの政策では、中国製品への追加関税、知的財産権の侵害問題、米国製品への報復措置など、21世紀型の貿易摩擦が展開されました。
スムート・ホーリー関税法の失敗は、保護主義が自国だけでなく世界全体に損失をもたらす可能性があることを教えてくれます。
今後も自由貿易と国内産業保護のバランスをどのように取っていくかが、各国の政策決定者に問われる時代が続くでしょう。
項目 | 内容 |
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法律名 | スムート・ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act) |
年代 | 1930年制定 |
内容 | 約2万品目への高関税措置 |
目的 | 国内産業の保護(主に農業) |
結果 | 報復関税・世界貿易の縮小・恐慌の悪化 |
現代への教訓 | 保護主義政策には慎重な判断が必要 |
関税は一見すると国内産業を守る有効な手段に見えますが、国際社会の中での相互依存を無視した政策は、思わぬ副作用を引き起こす可能性があります。
歴史に学び、冷静な経済政策の運用が求められる今こそ、スムート・ホーリー関税法の教訓を再確認してみてはいかがでしょうか?