吉原遊郭は、江戸時代から明治時代にかけて日本最大の遊郭として栄えました。その内部には遊女だけでなく、多くの関係者が存在していましたが、特に遊女の年齢構成や、未来の遊女となる「禿(かむろ)」の人数がどれくらいいたのかは、あまり知られていません。今回は、吉原における年齢層の分布について考察し、当時の遊女や禿の人口を推定していきます。
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう』でも、花魁道中や花魁が客に同席する場面、さらには蔦屋重三郎が女郎屋を訪ねる場面などで幼少の少女たちの姿をよく見かけることができます。これは、当時の吉原に多くの禿が存在し、遊郭の文化の一部を形成していたことを示しているとも言えるでしょう。
ドラマのなかでは一見華やかに見え、かわいらしくもある存在ですが、彼女たちの行く末の運命を考えると胸が痛くなります。
吉原遊郭では禿などの幼少の少女達には絶対に客をつけさせないと言う暗黙の掟がありました。ある意味「聖なる存在」として崇拝されいたとも言えます。
その一方で江戸の市中では、吉原の女郎と同じように借金のかたとして人身売買された未成年の少年達を売る男性版の遊郭が多くあったという痛々しい現実があります。
吉原遊郭の最盛期には約3,000人の遊女がいたとされています。この中で、年齢層ごとの割合を推定すると、次のようになります。
年齢層 | 人数(推定) | 特徴 |
---|---|---|
15~20歳 | 約1,500~2,000人 | 遊郭の中心的な年齢層。特に17~19歳が多く、この年代の遊女が最も人気があった。 |
21~25歳 | 約700~1,000人 | 一部の高級遊女(太夫・花魁)は20代前半まで活躍したが、多くの遊女は20代半ばになると人気が落ちたり、病気で廃業することもあった。 |
26歳以上 | 約300~500人 | 20代後半から30代以上の遊女は少数派。高級遊女として長く生き残る者や、廃業後に別の役割(遣手など)に移る者もいた。 |
このように、吉原では10代後半から20代前半の遊女が最も多く、25歳を超えると遊郭内で生き残るのは難しくなったことがわかります。
**禿(かむろ)**とは、将来遊女となるために育成される幼い少女たちのことです。彼女たちは7~14歳くらいの年齢で、遊女の身の回りの世話をしながら遊郭の作法を学びました。
禿の正確な統計は残っていませんが、次のような推計が成り立ちます。
年齢層 | 人数(推定) | 特徴 |
7~14歳(禿) | 約1,000~1,500人 | 上級遊女の見習いとして世話役をしながら、将来の遊女となる準備をしていた。 |
現在放送中の大河ドラマ『べらぼう』でも、このような幼少の少女たちが登場する場面が多く見られます。例えば、花魁道中の華やかな場面や、花魁が客に同席する場面で禿が付き従う様子が描かれています。また、蔦屋重三郎が女郎屋を訪ねる際にも、幼い少女たちが身の回りの世話をしている様子が確認できます。これは、当時の吉原に多くの禿が存在していたという歴史的事実を忠実に再現した演出だと言えるでしょう。
吉原遊郭には、遊女や禿のほかにもさまざまな人々が働いていました。
職種 | 人数(推定) | 役割 |
遊女 | 約3,000人 | 吉原の中心的な存在。主に10代後半から20代前半の女性が多かった。 |
禿 | 約1,000~1,500人 | 遊女見習いとして育てられた幼い少女たち。 |
遊郭関係者(楼主・遣手・下働き) | 約500~1,000人 | 遊郭を経営・運営する役割を担った。 |
客引き・幇間(男芸者) | 約300~500人 | 遊郭の繁盛を支えた。 |
町人・商人(外部関係者) | 約1,000人 | 食材や衣服などを供給し、吉原の経済を支えた。 |
このように、吉原全体の人口は5,000~6,000人に達していたと考えられます。
✅ 遊女の中心年齢層は15~20歳で、特に17~19歳が最も多かった。
✅ 吉原の遊女の総数は約3,000人で、25歳を超える遊女は少数派だった。
✅ 将来の遊女となる禿(かむろ)は約1,000~1,500人おり、主に7~14歳の少女がこの役割を担った。
✅ 吉原全体の人口は5,000~6,000人で、遊女以外にも多くの関係者が存在していた。
✅ 大河ドラマ『べらぼう』でも、吉原に多くの幼少の少女(禿)がいたことがリアルに描かれている。
吉原遊郭は、一見華やかに見えますが、その裏では多くの幼い少女たちが厳しい運命を背負い、短い生涯を送ることも少なくありませんでした。こうした歴史的な背景を知ることで、吉原の実態がより深く理解できるのではないでしょうか。