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「足抜け」とは?

「足抜け」とは?

遊女の「足抜け」とは?その意味と結末

NHK大河ドラマ『べらぼう』の中で登場した「足抜け」という言葉。遊女の「うつせみ」が間夫(まぶ)と共に足抜けを試みるも、結局は女郎屋の若い衆によって捕まってしまう場面が描かれました。

では、「足抜け」とは具体的にどのような意味を持ち、捕まった場合どのような結末を迎えるのかを詳しく解説していきます。

1. 足抜けの意味

「足抜け」とは、遊女や花魁が女郎屋(遊郭)から逃げ出すことを指します。

遊女は、前借金(まえがりきん)と呼ばれる借金を負っており、一定の年季(ねんき)を務めるか、誰かが身請け(みうけ)しない限り自由の身になることはできません。そのため、借金を返すことなく逃げ出す行為を「足抜け」と呼びました。

当時の遊郭は、遊女を厳しく管理し、その脱走を阻止するためにさまざまな制度が整えられていました。遊女の外出は厳しく制限され、遊郭の出入り口には見張りが配置されていたため、足抜けを成功させることは極めて困難でした。

特に吉原遊郭の場合、外へ出るには「吉原大門」を通過しなければならず、この門は厳重に管理されていました。そのため、足抜けを成功させることは非常に難しかったのです。

2. 足抜けの方法

遊郭は厳しく管理されており、遊女達は自由に外へ出ることはできませんでした。しかし、それでも以下のような方法で足抜けを試みる者がいました。

  • 間夫(まぶ)の助けを借りる: 客である間夫(恋人)が手引きをして逃げる
  • 花魁道中や外出の隙をつく: 外出する機会を利用して逃げる
  • 隠し戸を利用する: 遊郭の隠し通路を使って抜け出す
  • 吉原の関係者を買収:遊女を監視する「若い衆」や「遣手婆(やりてばば)」を買収し、見逃してもらう。ただし、高額な賄賂が必要で、成功率は不明。
  • 変装して逃げる: 男性の格好をして目立たないようにする
  • 火事や騒動を利用する: 吉原で火事が発生した際、混乱の中で逃げ出した例があった。
    o 江戸時代の大火事の際、実際に多くの遊女が逃亡した記録がある。

加えて、逃亡した遊女を捕まえる専門の 捜索専門の男たち もおり、遊郭側の面子にかけて必ず逃亡者を捕まえるシステムができあがっていました。

『べらぼう』の劇中では、うつせみのために間夫が町娘を利用して通行切手を入手するという手法が描かれました。町娘が吉原大門をくぐらずに間夫が通行切手を持ち込み、それを遊女に渡すことで、足抜けの計画が立てられたのです。

3. 足抜けが発覚するとどうなるのか?

足抜けが発覚すると、遊郭側は「若い衆」と呼ばれる男性従業員を使って逃げた遊女を捕まえに行きました。もし捕まった場合、以下のような厳しい処分が待っていました。

  • 折檻(せっかん)を受ける: 竹の棒などで殴られるなどの厳しい罰
  • 足抜け防止のためにさらに厳重に管理される: 鍵付きの部屋に閉じ込められる
  • 前借金の増額: 逃げたことによる違約金として借金が増える
  • 逃げた間夫が罰を受けることも: 遊郭に捕まると、助けた男性も厳しい仕打ちを受けることがあった
  • 他の遊女への見せしめとして公然と罰を受ける: 他の遊女が足抜けを考えないようにするため、厳しく処罰されることもあった

遊郭の運営側にとって、遊女は「財産」と同じ扱いでした。そのため、足抜けは重大な裏切り行為とみなされ、厳しく取り締まられたのです。

4. 足抜けに成功することはあったのか?

歴史上、足抜けに成功した遊女の例もありますが、それは稀なケースでした。成功するためには、

  • 遊郭側にバレないような周到な準備
  • 強力な支援者の存在(身請けをしてくれる人など)
  • 逃亡後の潜伏先の確保
  • 遊郭側の追っ手が諦めるほど遠くへ逃げる

などが必要でした。しかし、当時の遊郭は逃げた遊女を追いかけるネットワークが広く、成功率は極めて低かったとされています。多くの場合、逃亡生活は長く続かず、捕まった後は厳しい報復を受ける運命にありました。

5. 遊郭制度の衰退と足抜けの終焉

江戸時代後期になると、遊郭制度に対する批判が高まり、遊女の待遇改善を求める声が増えていきました。明治時代に入ると政府は遊郭制度の見直しを進め、徐々に遊郭の廃止へと向かう流れになっていきます。

明治時代中期になると、遊女の人権が徐々に認められるようになり、「足抜け」をしなくても自由になる道が開かれていきました。しかし、それでも制度が完全になくなるまでには時間がかかり、足抜けを試みた多くの遊女たちは悲劇的な運命をたどることが多かったのです。

6. まとめ

「足抜け」とは、遊女が女郎屋から逃げ出す行為を指し、発覚すれば厳しい罰が待っていました。『べらぼう』のうつせみのように、足抜けは簡単には成功せず、多くの遊女は再び捕らえられ、さらなる苦境に追い込まれる運命にありました。

しかし、江戸時代後期になると遊女の待遇改善を求める動きもあり、やがて遊郭制度は衰退していきます。「足抜け」は、そうした厳しい時代を生きた遊女たちの、自由を求める必死の行動だったのです。

足抜けの歴史を振り返ることで、当時の遊女たちが置かれていた過酷な状況を改めて考える機会となるでしょう。

べらぼう第9回(3月2日放送)にでてくる用語:

赤子面とは

夜鷹(よたか)とは

検校とは

間夫(まぶ)とは

大名跡(だいみょうせき)とは

足抜けとは

玉菊灯籠(たまぎくとうろう)とは

鳥山検校(とりやまけんぎょう)

身請けとは

花代とは

細見とは

懸想(けそう)とは

年季明け

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