2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』では、江戸時代の遊郭を舞台にしたセリフが多く登場します。その中で「懸想(けそう)」という言葉が使われました。
「つまるところ、花魁に取って金のない懸想など幸せになる邪魔立てでしかない。」
蔦屋重三郎が思いを寄せる花魁の瀬川に対して言った言葉です。
この「懸想」とは、どういう意味なのでしょうか?また、ドラマの文脈でどのように使われているのかを解説します。
「懸想(けそう)」とは、恋い慕うこと、恋心を抱くことを指す言葉です。現代ではあまり耳にしない言葉ですが、古くから和歌や文学で使われてきました。
📌 「懸想」の語源
「懸(か)ける」と「想(おも)う」が合わさった言葉で、「思いを懸ける」、つまり「恋心を抱く」という意味になります。
📌 例文(古典・文語調)
📌 現代語訳すると…
📌 懸想にまつわる文化
日本の伝統文化においても「懸想」は重要な概念でした。平安時代には貴族たちが和歌を詠み交わし、恋文を送り合うことで「懸想」の気持ちを伝えていました。また、江戸時代の遊郭では客が花魁に対して「懸想」することが一般的でしたが、恋愛とは異なり、金銭が関係する独特な文化がありました。
ドラマのセリフ「つまるところ、花魁に取って金のない懸想など幸せになる邪魔立てでしかない。」は、瀬川を想う蔦屋重三郎の気持ちを反映したものです。
瀬川と重三郎は互いに恋心を抱いていました。しかし、重三郎には瀬川を身請けするほどの財力がなく、その事実を重三郎自身が理解しているからこそ、このセリフが出てきたのです。
つまり、「金のない懸想」が単に遊郭の商売上の障害というだけでなく、重三郎自身の苦悩を示しているのがポイントです。これは、単なる遊郭の現実の描写というよりも、個人の葛藤を強調する重要なセリフとなっています。
「懸想」は、現代の会話ではほとんど使われませんが、古典文学や時代劇、和歌の世界ではよく登場する言葉です。
📌 京都の懸想文売り
京都では「懸想文(けそうぶみ)」という風習があります。これは、毎年1月に懸想文売りが登場し、恋愛成就のお守りとして「懸想文」を売るというもの。古典的な恋の願掛けの風習として、今でも一部の地域で残っています。
📌 神社やお寺での祈願
一部の神社やお寺では「懸想祈願」が行われることもあります。特に恋愛成就を願う人々が、懸想文を奉納したり、お守りを受け取ったりすることで、縁結びを祈る習慣があります。
📌 文芸作品での使用
文学や時代劇、小説などでは「懸想」という言葉が登場することがあります。例えば、井原西鶴の作品や近松門左衛門の浄瑠璃にも「懸想」にまつわる物語が多く描かれています。
📌 「懸想」とは?
📌 『べらぼう』での「懸想」の使われ方
📌 現代での「懸想」
『べらぼう』のような時代劇を通じて、日本の古い言葉に触れるのも面白いですね!