【鬼外先生とは?──大河ドラマ『べらぼう』から見る平賀源内の異名】
NHK大河ドラマ『べらぼう 』の中で登場する「鬼外先生」という呼び名。物語を見ていると、明らかにこの「鬼外先生」が平賀源内その人であることがわかります。しかし、「鬼外」とは何なのか、なぜこのように呼ばれていたのか──意外と知られていないこの呼称について、今回は詳しく解説していきます。
まず結論から言えば、「鬼外先生」とは平賀源内のことです。ドラマ内では、知識と好奇心にあふれ、常識にとらわれない発想で周囲を驚かせる姿が印象的に描かれています。まさにそのキャラクターは、史実に残る平賀源内そのものといっても過言ではありません。
江戸時代中期の天才・平賀源内(1728-1780)は、発明家、蘭学者、戯作者、本草学者など、あらゆる分野に携わったマルチな才能の持ち主でした。彼はエレキテル(静電気発生装置)の復元でも知られますが、それだけでなく演劇や文学、薬学、鉱山開発にまで関わっていたというから驚きです。そのため、当時から“変わり者”と見られていたこともしばしばありました。
そんな彼は、複数のペンネームや号(雅号)を使って活動しており、その中の一つが「福内鬼外(ふくち きがい)」という名です。これこそが、ドラマでの呼び名「鬼外先生」の元になっているものです。
「福内鬼外」は、平賀源内が特に戯作や風俗文化に関わる文筆活動において使用していた号であり、文壇では広く知られていました。たとえば、安永3年(1774年)には、吉原の名物出版人・蔦屋重三郎が改訂した吉原細見『細見嗚呼御江戸(さいけん ああおえど)』の序文を、「福内鬼外」名義で執筆しています。この出来事は、源内が当時の都市文化、特に遊郭文化や出版界に深く関与していたことを物語っています。
この「福内鬼外」という名は、決して単なる筆名ではなく、彼の人物像を端的に表す重要なアイデンティティでもありました。蔦屋重三郎との関わりは、その後の浮世絵文化や戯作文学の隆盛にもつながっていく要素であり、源内が江戸文化に与えた影響の大きさを再認識させてくれます。
「鬼外」という言葉には、いくつかの含意や語呂の妙が込められていると考えられています。
さらに興味深いのは、この号が節分の掛け声「福は内、鬼は外」に着想を得ている可能性があるという点です。もしそうだとすれば、「福内鬼外」とはその言葉遊びを逆手に取ったネーミングであり、「外見は鬼のようでも、内には福(才・善意)を秘めている」という意味にも取れます。
実際に源内は、外見や行動で誤解されやすい一方で、深い知識と人間愛、好奇心、社会批判の精神を内に秘めていた人物でした。その姿勢を象徴するのが「鬼外」という言葉なのかもしれません。
NHKの大河ドラマ『べらぼう』では、源内が「平賀源内」として有名になる青年期や、波乱に満ちた人生の様々な場面が描かれています。その中で「鬼外先生」という呼称を使うことで、彼の風変わりで異彩を放つ個性が際立つよう演出されています。
また、「鬼外先生」という呼び方は、単なるドラマの創作ではなく、史実に基づいた命名であることも見逃せません。実際に源内が「福内鬼外」という号を使っていた史料が残っている以上、この呼称の採用は非常に説得力があり、ドラマの時代考証にも深みを与えているのです。
加えて、現代の視聴者にとっては、「鬼外先生」という名称により、源内のキャラクターが一層印象的に映る効果もあります。奇抜で天才的、少し怖いけれど目が離せない──そんな魅力を備えた人物として描かれる彼の姿に、視聴者はどこか共感や憧れを抱くのではないでしょうか。
「鬼外先生」とは、江戸時代のマルチタレント・平賀源内が実際に使用していた号「福内鬼外」に由来する名前であり、彼の常識破りで異端的な天才ぶりを象徴する重要な呼び名です。ドラマ『べらぼう』では、この呼称を通じて、源内の自由奔放な生き方や、社会の枠に収まらない創造性を巧みに表現しています。
また、「福内鬼外」という号には、節分の掛け声「福は内、鬼は外」をもじったような、洒脱で皮肉めいたユーモアも感じられます。そうした言葉遊びや風刺のセンスも含めて、源内の人物像はまさに“江戸の異才”と呼ぶにふさわしいでしょう。
平賀源内という人物が、現代のドラマで再び脚光を浴びる背景には、「常識を疑い、自由に生きることの価値」を再評価する時代の空気があるのかもしれません。変人と天才は紙一重──そう思わせてくれる「鬼外先生」は、私たちに多くの問いとインスピレーションを与えてくれる存在です。