江戸時代には、視覚障害者による組織「当道座(とうどうざ)」が存在し、彼らは音楽、鍼灸、按摩(あんま)といった職業を独占していました。その最高位の称号が「検校(けんぎょう)」であり、検校になるには多額の費用が必要でした。その中でも特に有名なのが、鳥山検校(とりやま けんぎょう)です。
鳥山検校は、幕府公認の高利貸し業を営み、巨万の富を築いた盲目の大富豪でした。しかし、その強欲な貸付業務が原因でやがて江戸幕府から処罰を受けることになり、さらには「五代目瀬川事件」として歴史に名を残しました。本記事では、鳥山検校の生涯と吉原遊郭の五代目瀬川との関係について詳しく解説します。
当道座とは?
当道座は、中世から続く盲人たちの組織で、主に以下の職業を独占していました。
江戸時代には、盲人の社会的地位向上を目的とし、盲人達は幕府から特権を与えられていました。
検校とは?
当道座には厳格な階級制度があり、最下位から最上位の「検校」に昇進するには、多額の資金を納める必要がありました。最上位の検校になるには、なんと 719両(現在の約3,600万円相当) の費用が必要だったといわれています。
鳥山検校は、この最高位にまで上り詰め、財力と権力を手に入れました。
鳥山検校は、幕府公認の高利貸し業 「官金(かんきん)」 を運営し、多くの商人や武士たちに金を貸し付けていました。しかし、その利息は非常に高く、厳しい取り立てが行われたため、彼に対する評判はあまり良くありませんでした。
当時の金融業は、借金を返せなければ財産や家族を失うことも珍しくなく、鳥山検校の手法は「強欲非道」とまで言われました。
五代目瀬川とは?
五代目瀬川(ごだいめ せがわ)は、江戸吉原の名花魁(おいらん)でした。美貌だけでなく、知性や教養にも優れ、多くの富裕層の男性を魅了しました。
1,400両の破格の身請け
1775年(安永4年)、鳥山検校は 1,400両(現在の価値で約1億4,000万円) という破格の金額で五代目瀬川を身請けしました。
この金額は当時としては驚異的であり、江戸中で大きな話題となりました。しかし、この身請けが鳥山検校の運命を大きく変えることになります。
鳥山検校は、身請けした五代目瀬川を大切に扱いましたが、彼の厳しい取り立てや強欲な貸し付けが問題視され、1778年(安永7年)に江戸幕府から処罰を受け、失脚しました。
この事件は「鳥山瀬川事件」として広まり、当時の文芸作品や歌舞伎などで取り上げられました。特に、強欲な高利貸しの末路として、江戸の庶民の間で語り継がれることとなりました。
鳥山検校の生涯は、2025年放送のNHK大河ドラマ 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』 でも描かれます。
俳優 市原隼人 さんが鳥山検校を演じ、その生涯や五代目瀬川との関係が描かれる予定です。このドラマを通じて、鳥山検校の波乱万丈な人生が再び注目されることでしょう。
鳥山検校は、盲人組織「当道座」の最高位である検校にまで上り詰め、江戸時代の高利貸し業を通じて莫大な富を築きました。しかし、その強欲な取り立てが仇となり、幕府から処罰を受け失脚しました。
特に、五代目瀬川を1,400両で身請けした「鳥山瀬川事件」は、江戸中を騒がせた大事件であり、現在でも歴史の中で語り継がれています。
2025年の大河ドラマをきっかけに、鳥山検校の生涯を再評価する動きが高まるかもしれません。今後の注目に期待しましょう!