MLB(メジャーリーグベースボール)の人気チーム、アトランタ・ブレーブス。
そのチーム名「Braves(ブレーブス)」には、どんな意味や歴史があるかご存知でしょうか?
この記事では、「Braves」という名前の意味や、その由来、チーム名の変遷までをわかりやすくご紹介します。
また、この名称がどのように人々に受け入れられ、今の時代に至るまでどんな意味合いを持っているのかについても考察していきます。
英語の “Brave” には「勇敢な」「勇者のような」という意味があります。
複数形の “Braves” は、特に歴史的には 「アメリカ先住民の戦士」 を指す言葉として使われていました。これは、単なる「勇者」というよりも、部族の戦士としての誇りや名誉を象徴する表現です。
つまり、**「ブレーブス=勇士たち」**という意味なのです。現代ではその使用について賛否があるものの、当時は「勇敢さ」の象徴として肯定的に受け止められていた背景があります。
実は「ブレーブス」という名前は、チームがまだボストンにあった時代、1912年に初めて使われました。
そのきっかけは、当時のオーナーであるジェームズ・ガフニーという人物。
ガフニーは、**「タマニー・ホール(Tammany Hall)」**というニューヨークの政治組織に所属していました。
このタマニー・ホールは、**アメリカ先住民の指導者「タマネンド(Tamanend)」**を象徴としており、インディアンの羽根飾りをシンボルにし、メンバー同士を “Braves(勇士たち)” と呼んでいたのです。
その影響を受け、球団名が「ブレーブス」となりました。
つまり、政治的な背景が野球チームの名前に直接影響を与えた珍しいケースとも言えます。
ブレーブスは、長い歴史の中で何度も名前を変えてきました。以下の表にその流れをまとめます。
年代 | チーム名 | 補足 |
---|---|---|
1876年 | Red Stockings(赤い靴下) | 初代の名前 |
1883年 | Beaneaters(豆食い) | ボストン名物の豆料理に由来 |
1907年 | Doves(ハト) | オーナーの名前にちなんで |
1911年 | Rustlers(盗賊) | 新オーナーの方針で改名 |
1912年 | Braves(勇士たち) | タマニー・ホールの影響で命名 |
1936年 | Bees(ハチ) | ファン投票で変更されるも… |
1941年〜現在 | Braves | 名前が復活し、ミルウォーキー、そしてアトランタへ移転しても継続 |
ちなみに、1936年に一度「Bees(ハチ)」に改名したものの、成績は上向かず、1941年に再び「Braves」の名前に戻されました。
チームの成績と名称の相関性について考察するファンも多く、「Braves」という名前には不思議な強さが宿っているとも言われます。
また、チーム名の変更はその時代の経済状況やファンの声、オーナーの意向など様々な要素が絡み合って決まってきたことがわかります。
アトランタ・ブレーブスの「ブレーブス」という名前には、
が詰まっています。
今では、ただの「かっこいい名前」ではなく、勇敢さと伝統を象徴するチーム名として、多くのファンに親しまれています。
野球というスポーツは単なる試合以上に、名前や歴史がファンとのつながりを深めてくれるものでもあります。「ブレーブス」という名前も、そうしたストーリーを含んでいるのです。
アトランタ・ブレーブス(Atlanta Braves)は、アメリカ・ジョージア州アトランタに本拠地を置くメジャーリーグベースボール(MLB)の名門チームです。2021年にはワールドシリーズ制覇を果たし、再び注目を集めましたが、その歴史をたどると、実はとんでもない伝説とトリビアの宝庫なんです。
今回は、そんなブレーブスの意外な一面を楽しめるトリビアをたっぷりご紹介します✨
アトランタ・ブレーブスのルーツは、1871年に創設された「ボストン・レッドストッキングス」。これは、現在も存在する北米のプロスポーツチームの中で最も古いと言われています。
その後、チーム名や本拠地を何度も変え、
と変遷しつつ、今日に至っています。
📍つまり、同じ球団が3つの都市を渡り歩いたという超レアな歴史を持つチームなんです!
ブレーブスといえば、なんといってもホームラン王ハンク・アーロン。
1974年、当時のベーブ・ルースの記録(714本)を抜いてMLB歴代最多本塁打(755本)を記録しました(後にバリー・ボンズが更新)。
彼の功績は球団の誇りであり、アトランタには彼の背番号「44」を冠したスタチュー(銅像)もあります。
1991年から2005年の15年間で14回の地区優勝という驚異の成績を記録しました。
この快挙を支えたのが、伝説のローテーションピッチャー陣:
🎯この3人はすべて野球殿堂入りしており、まさに夢の三本柱でした。
ブレーブスの名将ボビー・コックスは、なんと監督退場回数161回というMLB最多記録の持ち主です!
しかも、ワールドシリーズで2度退場になったという前代未聞の経歴も。
ファンの間では、「彼が退場すると試合に勝つ」というジンクスすらあったとか(笑)。
1966年7月3日、トニー・クロンインジャー(Tony Cloninger)という投手が、1試合で満塁ホームランを2本打ちました。
これはMLB史上唯一の記録であり、しかも彼はその日、9打点も記録しています。ピッチャーとは思えない活躍ですね。
1996年のワールドシリーズで、アンドリュー・ジョーンズ(Andruw Jones)は、19歳180日で本塁打を放ちました。
これは、ミッキー・マントルが持っていた「最年少WS本塁打記録」を更新した快挙です。
チームの変遷をたどった中で、唯一、ボストン・ミルウォーキー・アトランタの3都市すべてでプレーした選手がいます。
その名はエディ・マシューズ(Eddie Mathews)。
彼は通算512本塁打を放ち、MLB殿堂入りも果たした名スラッガーです。
現在のブレーブスの本拠地「トゥルーイスト・パーク」は、2017年開場の比較的新しい球場。
球場の隣には「ザ・バッテリー・アトランタ(The Battery Atlanta)」という複合施設が併設されており、飲食、宿泊、ショッピングなどが楽しめるMLB随一のエンタメ空間として知られています。