ドジャースで活躍中の大谷翔平選手。メジャーリーグでプレイするようなってからもうだいぶ経ちましたね。 大谷翔平選手はいつからメジャーの選手なのでしょうか。
大谷翔平は、2018年、23歳 でメジャーリーグ(MLB)に挑戦し、その年のシーズンから本格的にプレーを開始しました。では、彼のメジャー移籍までの流れや、どのようにしてMLBのスター選手となったのかを詳しく見ていきましょう。
大谷翔平は、2013年、18歳の時に北海道日本ハムファイターズに入団し、日本プロ野球で投手・打者の二刀流としてのキャリアをスタートさせました。球速160km/h超の豪速球を武器にした投手としての才能と、長打力のある打者としての能力を兼ね備えた彼は、日本で異例の「二刀流」として注目を浴びました。
2016年には、投手として10勝、打者として22本塁打を記録し、パ・リーグMVPを受賞。この年の日本シリーズでも活躍し、日本ハムを日本一へ導きました。
大谷は2017年のシーズン終了後に23歳のとき,ポスティングシステムを利用し、メジャーリーグ挑戦を表明しました。当時、彼の獲得を巡って多くのMLB球団が名乗りを上げましたが、最終的にロサンゼルス・エンゼルスを選択。2017年12月8日(日本時間12月9日)に正式契約を結び、メジャーリーガーとしての第一歩を踏み出しました。
2018年4月1日(日本時間4月2日)、オークランド・アスレチックス戦でMLB公式戦デビュー。翌4月3日(日本時間4月4日)には初本塁打を放ち、同年4月8日(日本時間4月9日)には投手としてメジャー初勝利を挙げるなど、鮮烈なスタートを切りました。
同年は打者として22本塁打、投手として4勝を記録し、ア・リーグ新人王を獲得。日本人選手としては、2001年のイチロー以来の快挙でした。
大谷の真価が発揮されたのは2021年シーズン。打者として46本塁打、100打点、26盗塁を記録し、投手としても9勝、防御率3.18という圧倒的な成績を残しました。これにより、日本人として初めてア・リーグMVPを受賞。彼の「二刀流」は、メジャーリーグの歴史を塗り替える存在となりました。
2023年シーズン終了後、大谷はロサンゼルス・ドジャースと10年総額7億ドル(約1000億円)の超大型契約を締結。2024年から新天地でのプレーがスタートし、さらに新たな伝説を築こうとしています。
大谷翔平がメジャーリーグに挑戦したのは 2018年シーズン から。日本での実績を引っさげ、MLBの舞台に立った彼は、その後も進化を続け、今や球界を代表するスーパースターとなりました。ドジャースでの新たなチャレンジにも期待が高まります!
大谷翔平が メジャーリーグでデビューしたのは23歳 です。
具体的には、2018年4月1日(日本時間4月2日) にオークランド・アスレチックス戦でメジャー公式戦デビューを果たしました。
もし「大谷はメジャー何歳でデビュー?」と聞かれたら、「23歳です」 と答えれば正確です!
大谷翔平がメジャーリーグデビュー時にロサンゼルス・ドジャースではなく、ロサンゼルス・エンゼルスを選んだ理由は、いくつかの要因が絡んでいます。以下、詳しく説明します。
大谷翔平がMLB挑戦を表明した2017年の時点で、彼はまだ25歳未満(23歳)でした。そのため、MLBの国際アマチュア契約のルールにより、契約金(契約ボーナス)に制限がありました。
通常、25歳以上の外国人選手は自由契約となり、金額の上限なく契約できます。しかし、大谷は23歳だったため、マイナー契約扱いとなり、各球団の「国際契約金のプール」に基づいた限られた契約金しか提示できませんでした。
この制約により、資金力のある球団でも他の球団と大きな金額差をつけて大谷を獲得することができなかったのです。結果的に、大谷は「お金よりも自分が最適な環境でプレーできるか」を重視して球団を選びました。
当時、大谷は「二刀流」(投打の両立)をMLBでも続ける意向を強く持っていました。しかし、多くの球団は伝統的な起用方針により、二刀流を継続させることに消極的でした。
しかし、エンゼルスは当時のGMビリー・エプラーが「大谷の二刀流を最大限サポートする」と公言しており、二刀流として起用する方針を明確に示していた数少ない球団の一つでした。
ドジャースも大谷に関心を示していましたが、当時のドジャースはすでに強力なローテーションと打線を持っており、二刀流起用の柔軟性が少なかったため、大谷の希望とは少し異なっていたと考えられます。
大谷がMLBデビューした2018年当時、ナショナル・リーグ(NL)ではまだ指名打者(DH)制度が導入されていませんでした。そのため、ドジャースのようなナ・リーグのチームに入ると、「投手として登板しない日は基本的にベンチ」になってしまい、打者としての出場機会が減る可能性がありました。
一方で、エンゼルスの所属する**アメリカン・リーグ(AL)**では、**DH制が採用されていたため、大谷は「投手として登板しない日でもDHで試合に出場できる」**というメリットがありました。
大谷にとって、打者としても最大限の出場機会を得られる環境を選ぶことが、キャリアの発展につながると考えられました。
※なお、MLB全体でDH制が採用されたのは2022年からです。そのため、2021年までにナ・リーグの球団に移籍していた場合、大谷の打席数は大きく減っていた可能性があります。
大谷はMLB挑戦を表明した際、事前に30球団すべてに「質問書」を送り、自分に最適な環境を提示できる球団を選ぶ方針を取っていました。最終的に残ったのは以下の7球団でした。
これらの球団はいずれも西海岸のチームが中心であり、大谷が「日本との時差の少ない環境」を希望していたことがわかります。
最終的にエンゼルスを選んだ決め手は、
特に、当時のエンゼルスは「大谷が自由にプレーできる環境を提供する」と約束していたことが、決定的な要因となりました。
大谷翔平がメジャーリーグデビュー時にロサンゼルス・ドジャースを選ばなかった理由は、以下の点が関係していました。
結果的に、エンゼルスは彼の才能を存分に発揮できる環境を提供し、大谷はそこでMLBのスター選手へと成長しました。そして、2024年シーズンからは、ついにドジャースへ移籍。メジャーデビュー時には実現しなかったものの、6年越しにドジャースでプレーすることになりました。