近年、東京女子医科大学(以下、東京女子医大)の元理事長である岩本絹子氏が起訴された事件は、社会に大きな衝撃を与えました。ここでは、岩本氏の経歴を年代順に振り返り、事件に至るまでの背景を解説します。
岩本絹子氏は、1947年に佐賀県唐津市で生まれました。幼少期から勉学に励み、医学の道を志しました。
東京女子医科大学を卒業後、同大学の産婦人科学教室に入局し、医師としてのキャリアをスタートさせました。産婦人科医として、出産や婦人科疾患の診療に従事しました。
葛西中央病院の産婦人科部長を務めた後、大学時代の友人である三輪副院長と共に「葛西産婦人科」を開業し、院長に就任。地域医療に貢献し、多くの妊婦や女性の健康を支える役割を果たしました。また、地域住民の信頼を得て、医療の質向上に尽力しました。
東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、2013年に至誠会の会長に就任しました。同窓生のネットワークを強化し、医療界での女性の活躍を支援する取り組みも行いました。
手術中の男児死亡事故を受け、東京女子医大の経営再建のため、副理事長に就任しました。病院経営の合理化を推進し、財務状況の改善を目指しましたが、その過程で教職員との対立も生まれました。
女性として72年ぶりに東京女子医大の理事長に就任しました。赤字経営の大学を黒字化するなど、経営手腕を発揮し、財務管理の強化を進めました。一方で、強引な手法も目立ち、教職員や学生との関係が悪化。「岩本一強体制」とも言われる独裁的な運営を展開し、一部では反発の声が上がりました。
その後、岩本氏は大学の資金を不正に流用した疑いで逮捕・起訴されました。大学の財務に関する不正の詳細が明らかになるにつれ、関係者の証言も次々と公になり、社会的な関心を集めました。
岩本氏の事件は、名門医大における「私物化」の構図を浮き彫りにしました。産婦人科医としてのキャリアを持つ一方で、大学病院の教授経験がない岩本氏が、どのようにして大学のトップに上り詰めたのか、その人事選考システムには疑問の声も上がっています。また、財務の透明性や運営の公平性についても議論が巻き起こりました。
理事長就任後、財政面では一定の成果を上げたものの、経営手法の強引さが問題視されていました。特に、人事権の乱用や大学資金の管理に関する不透明な部分が指摘されており、それが事件の発端となったと考えられます。
岩本絹子氏の経歴を振り返ると、地域医療への貢献や大学経営の立て直しなど、功績もあった一方で、その強引な手法や金銭問題が事件を引き起こしたと考えられます。この事件は、医療界におけるガバナンスの重要性を改めて認識させられる出来事となりました。
また、今回の事件をきっかけに、大学経営の在り方や医療機関のガバナンスについて社会的な議論が活発化しました。教育機関の透明性と公平性を確保するための改革が求められる中、岩本氏のケースは今後の医療界にとって重要な教訓となるでしょう。