ハニワは、古代日本の弥生時代末期から古墳時代にかけて製作され、古墳の周囲に配置される陶製の土偶や土器のことを指します。その目的や背景については、さまざまな説が考えられていますが、特に興味深いのは、元々の埋葬儀礼から生まれた代替手段としての役割です。
ハニワはなんのために作られたのでしょうか? ハニワが作られるようになったことにはちょっと怖い理由があります。
古代の日本社会では、身分の高い人が亡くなると、その死者に仕える者たちも一緒に埋葬されるという、いわゆる「殉死」の風習が存在していました。これは、死後の世界でもその人に仕えるためと信じられていたからです。しかし、こうした生き埋めの風習は非常に残酷であり、次第に社会的な批判や倫理的な問題が浮上してきました。
ある時期から、この残酷な風習を改め、死者に仕えるための象徴として「ハニワ」を使うようになりました。ハニワは、人間や動物、家屋などを模した土製の像で、死者に対する供養や尊敬の念を表しつつ、生きた人間を犠牲にしない方法として利用されました。これにより、生者が命を失わずに済む一方で、死者を弔うための儀式的な意義も保たれるようになりました。
ハニワにはさまざまな形があります。人間の姿をした「人物埴輪」、馬や犬といった「動物埴輪」、さらには家や兵器を模した「器具埴輪」など、古墳に配置されるハニワは、多様な役割や象徴を持っていました。人物埴輪は、特に殉死者の代わりとして、死者の身辺での役割を果たす象徴と考えられます。また、動物埴輪や器具埴輪は、死者の身辺での護衛や、彼らが生活していた環境や社会的地位を表現していたともいわれています。
ハニワの利用により、古代の日本社会はより倫理的で人道的な埋葬方法へと進化しました。この変化は、文化的な成熟や死者に対する敬意の新しい表現方法として、非常に重要な意味を持っています。また、ハニワは単なる供物ではなく、古墳時代の文化や信仰を象徴する美術品としても評価されており、現代の研究においても日本の歴史的価値を持つ資料として注目されています。
ハニワは、古代日本における埋葬文化の進化の象徴であり、身分の高い人々の死後における儀礼を表現するための重要なアイテムでした。生きた人間を犠牲にする風習を改めたことで、古代の社会が倫理的に進化したことが伺えます。ハニワは、死者に対する尊敬と供養の象徴であり、同時に当時の社会や文化を映し出す貴重な存在として、現代までその意義が語り継がれています。
生き埋めの風習をやめ、代わりにハニワを使用するという変化が具体的にどのように決定されたかについて、詳細な記録は残っていません。しかし、古墳時代の中期、5世紀ごろになると、生きた人間の殉死が減少し、埋葬にハニワを使用する風習が広がったことがわかっています。考古学的には、この時期に埴輪が広く用いられるようになった背景として、社会的な倫理の向上や、統治者の宗教的・儀礼的な観念の変化が関与したとされています。
直接的にハニワの登場に関係するものではありませんが、8世紀に編纂された『日本書紀』には、仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀頃)に殉死が禁止されたという伝承が記されています。具体的には、仁徳天皇が殉死をやめることを命じたとされ、その代わりとして土製の像を使うようになったとも伝わっています。この記述は史実であるかどうかは明らかではないものの、殉死からハニワへと移行する社会的な変化を示唆するものとして注目されています。
また、ハニワの製作と配置には膨大な労力が必要であったため、当時の権力者たちがその風習を導入・推奨した可能性が高いとされています。つまり、当時の豪族や天皇などの権力者たちが、人道的な観点から殉死の代替としてハニワを使用することを決め、社会全体に広めたと考えられています。